郡山城情報館(史跡郡山城跡内)
郡山城への理解を深めることが出来る施設。
江戸時代に郡山藩主を務めた柳澤家の時代に緑曲輪と呼ばれた一画に位置し、郡山城に関する情報展示室やバリアフリートイレを完備。
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郡山城への理解を深めることが出来る施設。
江戸時代に郡山藩主を務めた柳澤家の時代に緑曲輪と呼ばれた一画に位置し、郡山城に関する情報展示室やバリアフリートイレを完備。
祭神は誉田別命。奈良時代の植槻寺となんらかの関係があったものと思われる。
植槻寺は、和銅2年(709)藤原不比等が浄達法師を招いて維摩会を行った道場。
黄檗宗龍華山。郡山城主柳澤家の菩提寺で、柳澤吉里が甲府から国替えの際、当地に移築したもので、市指定文化財の山門は旧郡山城城門を移築したものといわれている。また、当寺柳澤吉保、同夫人の坐像も市指定文化財となっている。
光岸山と号し、融通念仏宗。建築学的に見てもたいへん凝った豪華な造りになっている。
赤膚焼中興の名匠奥田木白の墓がある。
聖徳太子が推古天皇のために大寺を建立しようとして手がけた。聖徳太子が学舎として親しんだ熊凝精舎の故地に、額田部氏出身の道慈律師が建てた寺。明星池の中島に建っている宝筐印塔は、県指定文化財。近くに国重要文化財である額安寺五輪塔がある。
額安寺の北西にある8基の石造五輪塔群で通称「鎌倉墓」とも言われている。鎌倉後期に造立されたもので第1塔が忍性菩薩、第2塔が善願上人の供養塔で、八基の五輪塔は国重要文化財。これほど完全な形で残っているのは珍しい。
祭神は素盞鳴命、誉田別命、天児屋根命。本殿、宝殿は県指定文化財(室町時代)。境内の光堂寺の経蔵の棟木に天文23年(室町中頃)の銘文が墨書されている。地下からは多くの経石が発見された。
郡山藩に預けられた浦上キリシタン六教徒の墓。
大正15年に雲幻寺(うんげんじ→現在 良玄禅寺)境内に建てられたが昭和44年に大和郡山カトリック教会に移した。
祭神は、宇迦之御魂神(保食神 うけもちがみ)・源九郎稲荷大明神で古くは日本三大稲荷のひとつ。源義経が吉野に落ちのびた時、白狐が側室静を送り届けその謝意として「源九郎」の名を贈った話は有名。それが社名の由来になった。
毎年お城まつりの時に子供達が白衣に狐の面をかぶり、町中を練り歩く「白狐渡御」の行事が行われる。
民俗博物館は、延面積4,250㎡。資料約7,400点。県内各地より集められた民俗資料が展示されている。大和民俗公園(26.6㏊)には大和各地の価値高い民家(国重要文化財)が移築されている。
平安末、天台宗皇慶寺を改め、、後に蓮如上人の教化に帰依した光慶が、浄土真宗光慶寺を建立した
ご本尊は阿弥陀如来立像(室町初期)
梵鐘は市指定文化財
周囲に堀をめぐらした、小泉藩主片桐氏の陣屋跡。
祭神は素盞鳴命・誉田別命・牛頭天王。小泉藩主以下家中の奉納したものがある。本殿は国重要文化財。九頭天王社は雨乞いの水神様。木造女神像は市指定文化財
小泉藩主片桐貞昌の時代、家臣の茶人藤林直良が創建した。本尊は青面(しょうもん)金剛像。往時は一国一宇庚申として大和国の庚申信仰の総道場として知られた。平成17年10月から「庚申さんまいり」が復活している。
復元された追手門や櫓などが往時を偲ばせる。
天守台の石垣には、さかさ地蔵、羅城門の礎石など転用石がある。令和4年11月10日、本丸・常盤曲輪・毘沙門曲輪・玄武曲輪・陣甫曲輪・厩・緑曲輪・麒麟曲輪・薪蔵と内堀・中堀が国の史跡に指定。
郡山城石垣の語り部(郡山城天守台を説明・案内するボランティア)
実施日時 土曜・日曜・祝日 10時~16時(冬季は15時)
祭神は、誉田別命、比売大神、気長足媛命。柳八幡宮ともいう。鎮座は室町時代といわれ、現在地には文禄3年(1594)5月頃現在地に移転。
郡山城鎮護の八幡宮として歴代の郡山城主の尊崇をうける。
小泉藩城主片桐貞昌が1663年に創建。庭園は、茶道石州流々祖であるだけにわび・さびの境地を表現する日本の名園の1つで国指定史跡・名勝。書院、茶室、手水鉢等も国重要文化財。
慶長年間(1596年~1615年)徳川宇家康に大工の棟梁として召しかかえられた中井主水正清が正誉上人を開基として建立。中井家菩提寺
本尊阿弥陀如来像は鎌倉時代初期の作。本堂内陣正面の扁額は柳澤信鴻の筆で市指定文化財。また、十三重石塔も市指定文化財。
大納言豊臣秀長の菩提寺。秀長の肖像画(市指定文化財)や御朱印箱及び箱本制度の史料文献(県指定文化財)が残されている。
4月に大納言まつりがある。
郡山城天守台展望施設完成記念事業としてお城まつりの間に実施された「修羅引き」の際、実際に使用された「修羅」と石が(株)淺沼組大和郡山営業所の敷地の四阿の中に展示されています。往時の天守台建設の苦労が偲ばれます。 *「修羅」のいわれについて
古代インドで正義を司る神「阿修羅」(略して修羅とも)は、力を司る神「帝釈 天」と激しい戦いを挑み、何事にも動じることのなかった帝釈天を動揺させました。
つまり、帝釈=大石(たいしゃく)を動かした唯一の神が阿修羅だったことから、大石=巨石を動かす大きな木ぞりのことを「修羅」と称するようになったそうです。